中国山地の渓の愛すべき住人、オオサンショウウオ。全長1mにもなる世界最大の両生類は、分水嶺にあたる芸北の清冽な渓流でひっそりと暮らしています。

彼らが暮らせる環境を維持していくことは、我々の責務であり、喜びです。
広葉樹は保水力に優れ、森を潤します。100年以上の齢を重ねて成熟したブナの木は実に1トンもの水を蓄えることができるそうです。またその落ち葉は養分となり、その実は動物たちの食料となり、豊かな森の礎を築きます。樹齢数百年という古木の多くが切り倒され、炭とされてしまったのは大変残念なことです。

しかし今日の吉和でも渓を深く分け入れば、美しいミズナラやイヌブナの姿を見つけることができます。そのたくましい幹に手を当てると、優しい潤いが流れこんでくるのを感じます。
源流奥深く、夏でもしびれるような清冽な流れの住人、イワナ。中国山地のイワナは背中の虫食い模様が頭部にまでかかり、東日本のイワナとは別種と分類する専門家も多いとか。土地ではこの魚をゴギと呼んでいます。

オオクニヌシノミコトやヤマタノオロチが活躍した出雲神話の世界、その血脈を受け継ぐこの魚に、この風変わりな名前はよく合っているようにも思えます。
渓流の女王と言えば普通ヤマメのことを指しますが、こちら山陽や四国の川にはヤマメは生息していません。ここでは一回り小ぶりなアメゴが渓流の流れに舞い、僕らを惑わせ、楽しませてくれます。

海へ降りて半年を過ごし帰ってくるサツキマス。ダムの無かったころはマス漁で生計を立てる川漁師もいたほどだったとか。瀬戸を旅した後に戻る緑の渓は、彼らの目にどう映ったのでしょうか。
無数の細い流れは谷を下るうちに交わり、川となって走りはじめます。新緑のトンネルをぬけて走る水は生命力に溢れ、訪れる夏への期待をかきたててくれます。

海を目指す100キロの旅の始まりです。




- 太田川 - 中流

主流程103km、太田川は広島県北西部、廿日市市(はつかいちし)吉和に生まれます。島根山口との県境を成すこの地域の山には今日でもなお素晴らしい自然が随所に残り、四季折々の装いで僕達を迎えてくれます。

盛夏、空を埋めつくす緑。蝉の声も遠くに響く谷の底、一筋の流れがしぶきとなって舞い落ち、神秘と潤いが辺りを満たしています。
太田川の正式な始点は標高1339m、県下第二の高山、安芸冠山。この向かいの山肌を流れる焼山川上流には市民の皆さんのご尽力で制定された、太田川源流の森が広がっています。

戦後復興期の伐採のよってブナやナラの原生林はほとんど失われてしまいました。そして森の力の衰えは、遠く100km離れた海の生産性をも損なうもの。これをくいとめるべく近年ではカキ養殖の方々も植林に参加、先頭にたってご努力されています。我々誰しも他人事ではありません。蛇口の向こうは山に、排水口の先は海へと繋がっているのですから。
山仕事が廃れた今日、源流域に分け入るのは特産品である山葵(わさび)栽培をする地元の古老方、あとは我々釣り人や沢登りを楽しむレジャ−の者達だけです。それだけに我々は襟を正し、森への敬意を持って訪問せねばなりません。

人界とは隔絶されたかのような、神秘の領域。ところがそんな彼岸の流れを彷徨ううちに、ポツリと取り残された人間の足跡に驚かされることもあります。朽ちた丸木橋、苔むした石垣、錆びついた楔、それらに手をあて耳を澄ませば、それらひとつひとつから、懐かしい声が囁きかけてくるのです。
高峰のない中国山地、釣りメディアでも全国的な脚光を浴びることは少ない地域です。稀に話題に登るとしても、それは江の川に帰ってきたサケや日野川で釣れるサクラマスなど、山陰、日本海側の話がほとんど。山陽、即ち瀬戸内側の渓は、注目集めること少ないように思います。

この川を心の寄り所とする者の一人として、広島の母なる川、太田川をご紹介させてください。
Overview
太田川 - 上流