知床林道には、のんびりと草を食むエゾシカの姿がそこかしこに。
知床へ移動。ウトロ港を見下ろすオロンコ岩に登山。
脱獄不可能とされた網走監獄。そこから脱獄に成功した人物は二人。

そのうちの一人、白鳥由栄
の信念は 『人間が作ったものは、人間に壊せないわけはない』
この人なりの戦いとそれを取り巻く時代背景については、前述『羆嵐』と同じく吉村昭の筆による小説、『破獄』に詳しく描かれています。
政治犯を多く含む受刑者たちは、当時戦略的重要性が高いと考えられた中央道路建設のため、過酷な労働を強いられました。骨をもって岩を砕き、屍をもって沼を埋め、蝦夷地は現在の北海道へと開拓されました。ほんの百年前の過酷な歴史のうえに今があります。
ここはオショロコマの楽園。フライを始めるにこれほどの舞台設定もないでしょう。

早速元気な魚達がドライフライに飛びついて楽しませてくれました。
たらふくカニ食べて母子ともに健康の図。



夏の北海道 3へ




知床の渓。

フライフィッシングなど全く縁のなかったママリンに、ウェ−ダ−を履かせて強引に手ほどき。
日本海沿いを北上、稚内で一泊。

翌日は、快晴。稚内公園に、氷雪の門を見にゆきました。第二次大戦の最後、日本の降伏直後のソビエトの侵攻によって樺太を追われた人々の望郷の念が、青空をひときわ切なくさせます。
日本屈指のイトウのフィ−ルド、猿払。初夏と晩秋に多くのドラマを生むこの水辺も、夏の盛りの今はただ穏やかな表情でまどろんでいました。
やはり5年振りとなる、宗谷岬。
さすがは昭和19年の初等科二年生。
うったては力強く、テ−マ選定も秀逸。
オホ−ツク海沿いを走り、紋別で一泊。

実はここでC&R区間の整備で有名な渚滑川の釣りに出かけてみたのですが、渇水がひどく、一匹も手にできず。また良い時期に訪れてみたいと思います。
南極観測に追従した樺太犬、タロとジロ。
今は銅像となって稚内の町を見守ります。
現地は昼なお薄暗い谷あいの、つましい開墾地。生き残った住民達も事件後、ひとりふたりと去り、集落は廃村となりました。有志の手によって復元された当時の住居跡だけが今にその悲しい歴史を伝えます。

羆との遭遇によって人命が失われる事故は現在も数年に一度のペ−スで発生しています。それは確かな脅威ではありますが、年200人程の犠牲者が発生する北海道の交通事故実態と比較すると、冷静な受け止め方も必要です。
この資料館を有名にしているのは大正四年十二月に発生した、日本獣害史上最大の惨劇と呼ばれる三毛別羆事件の記録を伝えていること。

吉村昭の小説、三国連太郎の演じる老猟師をモチ−フにした映画、『羆嵐』。希望すれば、往年の町長室(!)のソファに案内され、VHSテ−プの映像を上映してもらえます。
旭川での滞在を楽しんだ僕ら。一旦日本海側に出て、次の目的地、苫前を目指しました。

郷土資料館に着くころには低気圧が近づいてきた様子、熱気のこもる空を濡らして暖かな雨がぱらついてきました。
網走のシンボル、ニポポ人形。

うらた じんごろう作の一本は、いずこに?
Fishy Trips
'11 夏の北海道 - 2
一方、害獣として捕殺される羆の数は年400頭前後。冬眠前の主食であるドングリの不作により、人の生活圏にまで餌を探しに降りる羆の多かった今年平成23年は、11月末時点速報値で758頭が補殺。そちらは報道もされませんが。
過去の旅行では複雑な思いがあり、三毛別に立ち寄ることはなかったのですが、このところ何かとクマに興味のあるハムのたっての希望もあり、今回は現地を訪ねて見ることにしました。