逆に日本の綿アメはロシアでも人気。
日本でもよく知られたビ−フストロガノフはこの街の宮廷料理が発祥。
ネヴァ川からバルト海へと通じる水運の要衝でもあるこの街。左岸にはペトロパブロフスク要塞が鎮座し、今でも海軍の船が睨みを利かせています。
一方市内にはネヴァ川から引かれた水路が巡らされ、観光客には遊覧クル−ズが人気です。
モスクワよりさらに北に位置するこの街、夏至の頃には白夜を体験できます。夏の夜長(?)、いつまでも続く夕日を川辺で眺めるのも風流なものです。
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ヨ−ロッパ的な町並みの中で異彩を放つロシア建築、血の上の救世主教会。1881年、皇帝アレクサンドル二世が暗殺された場所に建てられたものです。
教会内壁を埋めつくすイコン画。ロシア正教の世界観の極みといえる荘厳な空間。
ロシア正教の聖歌は、楽器を用いることなく肉声だけで奏でられます。その混成合唱の音色はただただ美しく、不信心な僕も思わず入信しそうになるほど。
サンクトの目抜き通り。由緒あるお店、デパ−トが連なるネフスキ−大通り。
展示物はイタリアやフランスをはじめとする欧州各国の作家作品を網羅し、その数は膨大。一通り見るだけでも大変な規模です。
また、もともとが女王の宮殿であったため、内部の装飾にも贅が究められており、それ自体が見どころになっています。
ロシアの、そして世界の至宝を集めたエルミタ−ジュ美術館。18世紀後半権勢を振るった女帝、エカテリ−ナ二世のコレクションをもとに、膨大な芸術品を収蔵しています。
一方、この街が作られた18世紀前半は、ロシアの国力が最盛期を迎え、ヨ−ロッパ文化の取り込みに多大な情熱が注がれた時代でした。欧州で発達した音楽や芸術、建築といったあらゆる領域の最新技術を貪欲に飲み込み、ロシアを近代国家とする、いわば日本の明治初期、文明開化にも似た動きが躍動した時代の作品がこの街だったのです。
それから三百年、うち二百年を帝国の首府として君臨したサンクトペテルブルク。二度の世界大戦や革命を含む歴史の荒波に揉まれ、独特のアイデンティティを確立し、熟成を重ねてきたと言えます。
ロシア帝国、ロマノフ朝による統治のシンボルとなったイサク聖堂。バチカン大聖堂とともに世界最大の宗教建築のひとつに数えられます。
サンクトの中心と言える、宮殿広場。中央に立つ脊柱はナポレオン戦争の勝利を記念するものです。
ロシア北西端に位置する文化都市サンクトペテルブルグ。ヨ−ロッパよりもさらにヨ−ロッパ的とすら言える、芸術性に溢れた町並みを誇ります。
というのもこの街は18世紀初頭、時のロシア皇帝ピョ−トル大帝が一面の湿原を埋め立て、ヨ−ロッパに負けない文化の都を築く、その目的のために造成した人工都市なのです。歴史の堆積という点では、パリやローマといったヨ−ロッパの古都に比肩するものではありませんが。
Sankt Peterburg