いざサ−モン釣行、どこに行くべきか。右に示すのはコラ半島のある一年のサ−モン遡上数の記録ですが、実にその半分近くをVarzugaが占め、二番手に天下のPonoi、そしてKolaが続きます。これら3河川がコラ半島の、すなわちロシアにおけるサ−モンフィ−ルドの横綱大関と言って間違いないでしょう。(但しコラ半島に昇る鮭をすべて足しても13万匹。同じ頃、アラスカではKenai川一本に100万を超すSalmonがひしめきあうわけですから、比較にはなりませんが)

遡上数を見る限りは、Varzugaこそが最善の選択肢に見受けられます。但し、Varzugaに昇る個体は二年魚(海で二年を過ごし回帰する個体)が圧倒的多数であり、多くの釣り人が究極目標とする三年魚、四年魚の比率が極端に少ないのです。

下のグラフはVarzuga(赤)、Kola(緑)、Litsa(青)の三河川でのサ−モン重量別分布ですが、Varzugaでは90%超が3kgまでの個体。5s以上の大型は僅か。それに対しKolaやLitsaでは5kg前後の大型、10kgに迫る超大型までも一定比率で存在し、夢のあるフィ−ルドであると言えます。
太平洋側に目を移せば、サ−モンの種類は多く、資源量も桁違いです。毎年数十万匹もの鮭が遡上する豊穣の大河も北米には数多く存在します。しかしそれらは欧州、ことに英国のフライフィッシャ−が目標とする大西洋鮭、アトランティックサ−モンではないのです。正直僕にはあまり響かない線引きなのですが。

欧州の中で最も恵まれた環境と呼べるコラ半島においても個体数の減少傾向は否定できません。今日では規制によって多くの川がC&Rオンリ−で管理されていますが、海洋での捕獲影響もあり、回帰率は0.05%程度。稚魚1万匹のうち、成魚として川に戻るのは5匹というのが厳しい現実なのです。その希少性がこの釣りへの憧れを増幅させるのは、仕方ないことかもしれません。
Salmon

そこまで釣り人を魅了し、狂わせるサ−モンフィッシング、その魅力は何なのでしょう。その強さ、美しさ、英国貴族の嗜みとしての長い歴史、様々な要素を挙げることはできますが、それだけで欧州各国の釣り人が、ロシアの地の果てまで大金積んで押しかける理由にはなりません。サ−モン人気の高さは、その激減した個体数と表裏一体。現在の欧州で潤沢な個体数を維持できているのは、アイスランドとロシア、二歩下がってノルウェ−、この三国だけと言うのが寂しい実情です。
多くの宿は意外にも近代的。ロシア人に不可欠のバ−ニャ(サウナ)も用意され、美味しい食事を用意してくれます。

宿泊費はまず、サ−モンのフィ−ルドであるか否かによって大きく分かれます。既述の通りサ−モン以外の釣りにはライセンスすら不要の土地柄。一泊一万円も出せば家族一部屋三食付きで、快適な滞在が可能です。

一方サ−モン宿の価格は、その河川の人気度、ヘリ送迎の有無、そして時期選択次第で、天井知らずに跳ねあがります。銘川Varzugaを寡占運営する英国代理店Roxtonsの場合、60万円/週からのスタ−ト。よい時期のよい区間は100万円を超えるお値段に対し、一年前には粗方予約済というのですから、恐れいります。
僕自身には正直、大西洋鮭への特別な思い入れはなく、身分不相応な大金を投じてまでこの釣りを追求するつもりもありません。北米に行って気楽にシルバ−を釣れるなら、それ以上の贅沢など求めない実利主義者です。

しかし現在の僕は何の因果かモスクワ流罪の身。なればこの面倒くさいお国事情にしっかり向き合い、謎のベ−ルに包まれたロシアの釣りをひも解いてゆくのは、いきがかり上の使命であるかと心得ます。その作業のお題目として、コラ半島、サ−モンの釣りと、しばしマジメに向き合ってみたいと思っています。




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その軍事的重要性から、ソビエト時代は外国人は勿論、ロシア民間人の活動にも厳しい制約がかけられていた地域。その雄大な自然、ことにサ−モンフィッシングの可能性が知られるようになったのはソ連崩壊後、比較的近年のことです。

上の地図にポインタ−を当てて頂くと、コラ半島の鮭釣り、有名河川の位置をご覧頂けます。日本のメディアで時折紹介されるポノイは、この半島の東端でバレンツ海に注ぐ大河です。

コラ半島は比較的なだらかな土地。標高は最も高いところでも1,200mに過ぎません。冬に降り積もった雪は春、極北の長い日照に暖められて半島全体を湿地に変え、無数の湖沼を満たし、ゆるやかに海へと流れ下ってゆきます。広大な水面積と釣りのポテンシャルを持った地域です。
Lodging

結果、この地を訪れる釣り人の多くが、外国人向けのロッジを利用することになります。

ビザ手配に始まり、フィ−ルドでの案内、そして何より僻地への移動手段として欠かせないヘリコプタ−の手配をまとめて行ってくれる点で、その価値は非常に大きいものです。立ち入りが禁止された地域を飛び越え、特別許可を得た釣りのフィ−ルドへ直行するには空の足が重宝します。
Fishing

解放から四半世紀、利権争いは沈静化。我々外国人にも自由旅行が許され、フィ−ルド選択が広がってきたのは喜ばしい事です。

半島内部に無数に点在する湖沼に関しては、ライセンスすら必要なく、良く言えば誰でも釣りをすることが許されています。多くの地域は交通インフラが未発達であるため、ふらりと訪れて良い釣りができる保証はありませんが、腰を据えてかかれば大きな可能性を秘めた土地であることは確かです。
サ−モン釣りのライセンスは一日あたり1,600ル−ブル、約3千円で統一されており、(ロシア人価格に比べると約5倍ではありますが)、リ−ズナブル。しかし問題はここから。Travel Tipsの項にも記したとおり、英語で得られる情報は少なく、ロシア語を話せないことには遊漁規則の理解、宿のアレンジや足の確保といった基礎的なことすら、何ひとつ進められないのがロシアなのです。さらに厄介なのが、現在も残る『外国人立ち入り禁止区域』の存在。ムルマンスク市近隣を除くバレンツ海沿い地域(つまり北岸全域)は2016年時点、外国人の立ち入りが原則認められていません。拙いロシア語で問い合わせた結果が、どこもかしこも拒否回答。僕の落胆のほど、ご推察頂けますでしょうか。
ソビエト崩壊後の急激な自由化はロシア全土に深刻な自然破壊をもたらしました。地下資源の乱開発、産業廃棄物による汚染に加え、食に困った人々が密漁を行ったためです。豊かな自然に暮らす人ほど自然保護意識が希薄なのは残念なことです。中国製の網が安価に手に入るようになった事も背景に、多くの川では密猟者と管理者のせめぎ合いが続けられています。

一方、あまりに僻地であるがゆえ密漁被害が軽微であった河川もありました。その代表がポノイ川です。90年代初頭、その圧倒的サ−モン資源に欧米の釣り人が訪れるようになると、それは外貨を獲得する優良ビジネスとして認知され、半ば国策として急速な成長を果たしました。銃で武装した用心棒が密漁者を取り締まり、高額な入漁料を払う外国人だけが客として迎えられるようになったのです。
History

有史前から長きに渡りこの地域には北方の遊牧民、Saamiの人々が住んでいました。国という概念を持たなかった彼らの土地に、西からノルウェ−、南からロシア系のNovogorodの侵入が始まったのは12世紀。幾度もの紛争を経て14世紀初頭に国境線が引かれ、コラ半島の多くはNovogorod公国の支配下に置かれました。1478年、Novogorodが滅び、ロシアに吸収されて今日に至ります。

ソビエト時代にはタラやサケ、カニといった漁業が計画経済の管理下で行われ、自然資源は比較的安定維持されていたそうです。
Geography

ロシア北西端、フィンランド、ノルウェ−との国境を成し、バレンツ海へと突き出すコラ半島。その面積は10万平方キロメ−トル。北海道を一回り大きくした程の土地に約30万の人々が暮らします。

半島はほぼ全てが北緯66度、北極圏の中に収まり、最低気温はマイナス50度に至る極寒の地。一方、大西洋を北上する暖流の影響で沿岸部の気候は比較的穏やか。州都ムルマンスクは世界最北の不凍港、軍事上の要衝としても開発されてきました。
Overview
Kola Peninsula