ゴミは社会を写す鏡です。僕らもこれまで日本各地、世界各国でのゴミハンティングを通じ結構な社会分析の権威になった気がしておりますが、我々日本人は不思議な国民です。確かに日本以上にゴミで散らかった国もありますが、それらの国の多くは貧しく、無知で、人が見ていようとお構いなくゴミを捨てるのです。物質的豊かさを享受し、普段は良き市民として振る舞いつつ、他人の目がなければ古テレビや冷蔵庫を河原に放り出すようでは日本人もまだまだです。
気を付けて釣りをしていても、高い梢や水底に鉤や糸を残してしまうことは避けられません。だからこそ、ゴミを拾うことにしませんか?誤ってひとつゴミを残してしまったなら、他人のゴミを二つ拾うことにしませんか?
エグイ物も拾ってきました。生理ナプキンや使用済みコンドーム、おぞましい物はその場で焼却処分できるよう、最近ではライター常時携帯です。

現行犯で捨てる人には勇気をもって注意するようにしています。言い訳する人、逆ギレする人、さまざまです。『人のタバコに文句言う前に、ブラックバス全部殺して来い!』と、吠えられた鮎釣り紳士もいらっしゃいました。

人目の有無でなく、自分の良心に照らして行動しませんか?捨てないでください。持ち帰ってください。持ってきたんだから持ち帰れるはずです。持ち帰れば、気分もいいはずです。拾って下さい。ゴミを拾えば気分はすっきりします。

誰のためでもありません。しいて言えば地球のためです。
これはウルトラマンでなくてもできる、地球を守る戦いです。


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小学生の頃、手ぶらで防波堤に行き釣りをしていました。防波堤に行けば大人達の捨てた糸、鉤、鉛、たいていの道具は現地調達でき、僕ら子供達はそれをアテに遊びにきていました。石垣の隙間をのぞきこめばゴミの山。ジュースの缶、発泡スチロール、弁当箱、色とりどりのナイロン袋。ゴミの山をまるで宝探しでもするように掘り起こし、即席の釣り道具を調達していたなんて、今思うとあまりに悲しいことです。

そんな環境に育つうち、恥ずかしながらゴミについて感覚が麻痺していました。自分達もそこにゴミを捨て、他人のゴミを持ち帰るなど考えもしませんでした。しかし年をとり、改めて自然と向きあう今、『捨てる』という行為の恐ろしさに僕は怯えています。なかでも永遠に分解することのないプラスチック、それは十年、百年、幾星霜の歳月が流れようとも地球上に存在し続けます。恐ろしいことです。
いまさらながら、どうしてもお願いせねばなりません。『ゴミを捨てないでください』 そんな事当然だ、と思われる方、ありがとうございます。加えてお願いします。『ゴミを拾ってください』

他人の捨てたゴミを拾ってみてください。捨てるより拾うことが如何に面倒で、しかし気分の良い行為か、お気づき頂けると思います。
Never Ever Litter